バイト終了

2001年3月15日
とうとうピザ屋のバイトを辞める日
客観的に見てうちのピザ屋ってすごく楽だったと思う。
バイクに乗っている間はボーっとしてられるしピザは食えるし仲間はみんな年下だから気楽だったし。
やめたくないなぁ、やっとバイト仲間と仲良くなってきたのに・・・
今日は最終日だっただけに一人で感傷的になってしまった。
最後給料を受けとるときも社長の笑顔にホロリとしてしまった。
ああ、別れの季節かー

ホワイトデー

2001年3月14日
久しぶりに日記を書く事にしました。
これだけ間を空けると今まで見てくれていた人も何人かは去っていっただろうな・・・反省。    m(__)m
このところ学校がないせいか生活リズム、感情リズムが調子悪い。
昼まで寝てて起きてテレビ見てたまにバイト、部活行って・・・
全然充実感、感動がないのよ。
無趣味なのがいけないのか友達が少ないせいなのか悩んでしまう、お金もないし。
日記も気力が沸いてこなくて・・・
明日からこの日記のネタになる事をやろー。

五時からバイト。
4月になったら、学校の関係でもうバイトに来れないと言う事を伝えた。
「辞めていく奴はみんな大体3〜4ヶ月で辞めるな、そういう奴は何も残らないな。」
と辛口のコメント。
オレだって辞めたくはないけれどさー
学校を休むわけにはいかないじゃんね、最後の二年くらい勉強しないとアホ医者になってしまう。

バイトで初めての後輩が出来た。
すごく内気でおとなしそうな男の子だったな。
なにはともあれ、自分より未熟者と仕事が出来るってなんか嬉しい。
だって絶対自分の方が上の立場になれるじゃんねぇ。
高校生に「ぴょん」付けで呼ばれ、階級社会の最下層で虐げられる時代は終わったぜい。うほうほ。

7時からは社長と二人きりだった。
社長に肝臓の病気についていろいろ聞かれ、ある事ない事とりあえずもっともらしい事を並びたてて説明したら、社長は感心しきりだった。
その甲斐あって今日は妙にオレに優しい社長だった。世の中ハッタリって必要だね。

上高地(最終日)

2001年2月26日
朝起きてあずみ荘から見る朝焼けの富士山は
絶景かな絶景かな。
ホントに素晴らしかった。
富士山って本当に神秘的な山だよね。
周りに山がなくってひょっこり1つだけ堂々とそびえ立っているんだもの。
宿の人に聞くとこんなに綺麗に見える日は久しぶりだ、との事。
チェックアウトした後でみんなで凍りついた精進湖に降りていったんだ。
景色がとても綺麗なのでどうやって記念写真を撮ろうかという話になっって
組み体操で扇(山の形だから)を作ってパシャり。
写真の真ん中に肩車をした奴を持ってきて山の形にしてパシャり。
みんなが頭の上に手で山を作ってパシャり。
普通の人が見たらばか写真ばかりだけれど現像がすごく楽しみだな。

その後はコンテナ車に乗り込み上九一色村に出発した。
目的は・・・・そう、サティアン跡地。
小一時間走り回ったがそれらしい所は見つからず、みんなでサティアンをバックに空中浮揚した記念写真をとるという野望は崩れ去ってしまった。

気を取り直して本栖湖に移動、五千円札の表紙の富士山の絵のモデルになった景色を堪能、お約束どおりみんなで五千円札を持ってパシャり。

その後河口湖、山中湖と次々と富士五湖を巡っていく一行だったが、移動中コンテナの中では暇を持て余した連中がトランプを始めていた。
それが意外な盛り上がりを見せていて
「景色が綺麗じゃなかったら湖についても別にコンテナ開けなくていいから」
と言う発言も飛び出すほどに。

そんなこんなで山中湖を出発した一行は東名高速に乗り帰路についた。
高速でのコンテナ内はぶっ壊れてもおかしくないほどのものすごい音、隙間風、振動であり改めてコンテナは人が乗っては行けない所である事を実感した。
誰がやったか知らないがコンテナの隙間は一部タオルとガムテープで補強してあったが、はっきり言って意味無し。

名古屋に帰ってきた後はみんながみんな
「無事に帰って来れたねぇ」
を連発、そんなに危険な旅でありました。

打ち上げは、旅行中満足に肉を食えなかったと感じたメンバー4人で焼肉の食い放題に行った。
肉に飢えていた俺はラグビー部のマッチョ君よりたくさん食ったった。

旅行を振り返ると
まともな旅行ではなく、計画からして滅茶苦茶で、メンバーがみんな常識から外れてて、だからこそこんな旅行が出来たんだろうなっと思う。
このメンバーでまたどこかに行きたいな。

上高地(三日目)

2001年2月25日
ホテルカマクラでの一晩は決して忘れないだろう。
ホテルカマクラの定員はリビング1つで3人、別室2つでそれぞれ一人ずつ。
そんでもってオレのポジションは別室。
快適だろうと思って陣取った場所だが重大な事実に気付かされた、床か斜めに傾斜していたのだ。
徐々に滑ってはリビングに寝ている人にスライディングをかましそうになって慌てて這い上がりまた滑っては這い上がるを繰り返していた。
また上からはつめーたい水がポターリ、ポタリ。
その上外はマイナス10度を越える吹雪、足は感覚がなくって腐っているのではと思えるほどに痛かったし、寒さのあまり寝る事すら出来なかった。
ちょっと寝てもすぐに起きて寝ぼけて暖房を探し、自分の置かれた立場に気付き絶望する事もあった。
こんなに朝が待ち遠しかった日はなかったよ。

待ちに待った朝がきても寒さの恐怖からは開放されなかった。なぜなら・・・
靴、手袋、寒さで凍ってやんの。マジで洒落にならん。変えの靴や手袋なんか用意してなかったし、凍ったままのそれらを着用したよ。

この辛い経験を後世の人にしてもらいたくないので自分なりに考えたよん。

今日学んだカマクラ作りの傾向と対策
1、カマクラ寝る場合はあくまでカマクラの大きさを小さくした方が保温性がいい←これは一人用のカマクラで寝てた人がぐっすりと寝れた事から学んだ、ちきしょー
2、カマクラで寝る場合はカマクラの壁を厚く取らないと保温されない←うちらは広さを追求するあまり壁をギリギリまで削ってしまい一部の壁はステンドグラス化していた。
3、カマクラの入り口を作る時は下に掘っていくと、生活空間が下になり、積もった雪の上に作る雪山を小さく出来て楽だし、地温を獲得できて温かい。

こんな感じです。
ていうか基本的にカマクラで寝ようなんて考えちゃあいけません。

あと、朝に俺らのカマクラの前を通りかかったおばちゃんおじちゃんのチームが話し掛けてきて、僕等のカマクラの記念撮影をしていた。
そりゃあ見栄えは素晴らしいし、ポジションも美しき大正池の前、観光客に開放して入場料をとる事だって可能だったね。撮影料置いてっとくれやす。

早々に朝食と記念撮影とを終えた一行はカマクラの長寿を祈願しつつ大正池の湖畔を後にした。
この日はとてもいい天気であったのでコンテナ車まで戻る道のりは楽しいものであった。休憩中にY井君とやったガチンコそりすべり勝負はオレの圧勝だった。

この日の予定は白樺湖でのわかさぎ釣りと青空の下それを天婦羅にして食う事。
しかーし白樺湖に到着した時は閉まってしまう1時間前、カマクラでゆっくりし過ぎたか・・・
三本の釣りざおを用意していたのでみんなで交代して釣りの気分を満喫した。
わかさぎを釣る事よりもわかさぎ釣りという風物詩を味わっている自分に浸るメンバーであった。
いや、そういえば一人だけ釣り上げる事に意地になっていたな。
経験者のT中君。
そいで釣果はというと・・・一匹。
釣り上げた功労者は今回の旅の紅一点S田さんだぜい、おめでとー。
オレとY井はそのわかさぎを拝借して自分が釣ったかのように記念撮影させてもらいました。

白樺湖が閉まる時間になり追い出された一行はいよいよみんなの一番の楽しみ、温泉に向かう事になった。
いやー、よかったよー、カッパ温泉。
カマクラで死にかけた体の末端部を温泉パワーで復活させたぜ。
中には風呂なのにサングラスかけた親父とか刺青はいっちゃっている人とかいたけど気持ちよすぎて気にならなかった。

昨日カマクラで頑張った一行をねぎらう意味でこの日のお宿は精進湖畔にたたずむ旅館だった。
テントでもなく、小屋でもなく、旅館なんぞに泊まっちゃうのはワンダーフォーゲル部始まって以来の快挙?らしいぞ。
部屋は広々としていて夕食のカレーも美味。
いい旅館だったぞ、あずみ荘。

上高地(二日目)

2001年2月24日
コンテナ車の中は快適とはあまりに程遠い環境だった。
狭いし、暗いし、ゆれるし、跳ねるし、寒いし・・・
人が乗らない設計だからしょうがないんだろうけれどこの日のコンテナ車中泊はこたえた。
運転席に3人、コンテナに7人のメンバー構成で
コンテナ内の人はコンテナには窓がついていないので暇でしょうがなかった。
だからトランプの大富豪なんぞをして暇を紛らわしてたよ。

朝に上高地について、なぜか俺らはお土産屋の店先で料理を始めた。
案の定怒られて駐車場に移動して調理を再開、朝食を食った。
今回のメンバーは適当に生きている人ばっかり集まったので料理でも何でもが適当だった。
米を炊く時の火の強さ、時間、水の量、全てが適当だった割には上手く炊けたのはオレ様のなせる技か。
山のぼりグッツの中に茹でてチャーハンが出来るインスタント食品があることを知ってビックリした。普通に考えておかしいやろ、それ。

腹ごしらえを終えた一行は大きな荷物に大きなシャベルを一人一本くくり付けて上高地大正池へと出発した。
この道のり1時間半あまりが今回の旅行で唯一のワンダーフォーゲル部らしい時間であったような気がする。

大正池についた一行は本日のメインイベント、カマクラ作りに取り掛かった。
一度学校でカマクラ作りを経験しているオレは今回のメンバー分(10人)作るのがどんなに大変か分かっていたが、どの道完成しないと今晩の寝床がない追い込まれた状況なので頑張ったよ。
二班に別れて定員5人のカマクラを二つ作ったのだが結果的に二つにそれぞれ個性が出て面白い結果になった。

僕等の班は「隣の班よりも大きいのを」をモットーに働き者四人が集まって休みなく働き、中にリビング1つ別室2つを備える巨大カマクラ「ホテルカマクラ」を完成させた。

もう1つの班は怠け者の班だったので完成させたカマクラが5人収容が不可能な大きさになってしまったらしい。
そして急きょ一人用のカマクラを2つ合体させて作り足していた。
そうして三つのカマクラの集合住宅「コーポカマクラ」は完成した。
ちなみにコーポカマクラ製作者の一人は日が落ちて真っ暗のなっても完成せず夜の極寒のなか、カマクラを作りながら凍死を身近に感じたらしい。

この日の夕食はホテルカマクラ内でメンバー10人しゃぶしゃぶ鍋をした。
美しい大正池のほとりで自作カマクラの中で鍋を囲む。
最高に贅沢な時間だったと思う。

ただしゃぶしゃぶの肉が一人三枚迄だったのは全然贅沢じゃないぞ。



上高地(一日目)

2001年2月23日
この日はゆかちゃんとおデート。
松坂屋で1260円でイタ飯食べ放題の店に行った。
食い放題なのに女の人ばっかりであった。
こういう店を見つけるのって女の子の方が早いんだよねぇ。
その後、東急ハンズをブラブラしてた。
アーティストが買うような芸術的な発泡スチロールやら針金やらを見てまわり、お互い自分の欲しいものを相手に買わせようとふざけて時間を潰した。

そして友達(男)が泣いて感動した映画「ダンサーインザダーク」を見に行った。
観客は少なくて10人前後、お陰でゆったりと見る事が出来た。
内容は、主人公がとことん不幸になる話。
ミュージカルなのにシリアスストーリーでビョークの歌は重くて、確かに見てて悲しくなるけれど、こういったストーリーで人を泣かせるのは反則だと思った。
主人公が変人がかっている所も違和感があった。
最後の終わり方も余韻に浸るにはあまりにキツイ終わり方・・・
個人的には主人公が歌っている時が大好き。
無機質な物、敵だった人、全てが主人公の世界では味方になり、リズムを取り、主人公はそれに合わせて踊る、この瞬間だけが救われた気になるな。

この日はワンダーフォーゲル部のメンバー10人で上高地に出発する日。
夜、学校に集まるとシャベルやらスノーシューやら鍋やらガスヒーターやら変なものばっかりが集められていた。
それからも今回の旅行は普通じゃない事が分かって頂けるだろう。
さらに移動行程全ての移動手段はコンテナ車。
コンテナに人を乗せるのは違法だが、みんなそういったもので旅行をしてみたいと言う事で意見の一致をみて決定した。
こんなはちゃめちゃな旅行が、今始まるのであった。

いいお天気

2001年2月22日
今日は天気はすこぶる良好でポッカポカな陽気だったよ。
故に今日は主婦になりきってお掃除お洗濯を敢行したんだ。
お洗濯ものが気持ちいいくらい乾いて、
窓を開けると、外からは暖かい空気が入って来て部屋中に立ち込めていた埃も一掃、
たまった食器も洗って、半日潰したけれどいい仕事したよ、主婦冥利に尽きるってもん。

夕方からはバイト。
暇すぎてバイト仲間三人で店内で野球をしてた。
球がピザの具の肉塊でバットがスプーンという、部外者が見たらもうピザ頼んでくれなくなりそうな状況の中結構盛り上がった。
中でも最古株の人が一番熱くなってた。
三人中一番バット(スプーン)に当たってなかったのに
「オレが一番飛距離のある打球を飛ばした」
と言い張って自分の勝ちを主張、もう一人の後輩に
「運が良かっただけじゃないですか」
と言われてた。



今日は3時まで(昼の)爆睡。。
起きた瞬間は体中に力が入らなかった。
これぞ春休み。

3時に友達がきて買い物に行く。
結局、ほとんど何も買わずに帰宅、また3時間ばかし寝る。
これぞ春休み。

それから家庭教師に行く。
家庭教師先でも半分、いや3分の2はだべって過ごす、いつクビになってもおかしくないね、これは。
ちなみに、その家で出された焼きそばは絶品だった。

ああ、春休み

2001年2月20日
9時半起床だった。
なぜなら今日はおデートの日。
前回遅刻した反省で目覚ましを三個セットしたよ。

今日のメニューはウィンドウショッピングとお食事だった。
俺的にちょっと可愛いと思った瞬間は以下の会話。

相手「昨日友達とデパートに買い物行ったの」
おれ「何買ったの」
相手「歯ブラシキャップ」
おれ「いくらだった?」
相手「五十円・・・」

そして生活倉庫で商品を物色した。
「無印良品はデザイン代もかかってないしその上高い」事で意見の一致をみた。

飯はいろいろ悩んだ末結局ロイヤルホストに入って2時間半喋った。
話の中で女子高での体育祭の話になったんだ。
女子高の体育祭は父兄しか入れないんだって。
しかも部活別リレーってゆうのがあって、それぞれのユニフォームで走るらしい。
そんで水泳部は水着で走るという話
・・・父兄になりたい!!

デートのお後はバイトに直行。
ビラ配りをさぼって公園でゆかとメール交換してた。
時間があったからビラ配りもやったんだけど、
あるマンションで配ったビラが集められて突っ返されたんだ。迷惑だって。
俺の仕事が人様に迷惑をかけてるのかーと思い悩んだ出来事だった。
でも社長の命令だしなぁ。
ビラ配りでオレが大家に捕まったら社長は助けにきてくれるかしら。

今学期終了

2001年2月19日
今日の試験が終わればとうとう待ちに待った夏休み、じゃなかった春休み。
深夜1時からいつもどおりデニーズでお勉強だった。
深夜のデニーズって勉強してる人とか、本読んでいる人とか、仲間がいてけっこう刺激になる。
寝ている人もいるけれど。
昔、、ワンダーフォーゲル部だった姉貴は山から下りてきた日に、宿がなくってファミレスに頼み込んで泊めてもらった事があるらしい。
何日も風呂に入っていない状況で・・・女ぢゃないねもう

今回は試験範囲も狭くって楽勝だったよ。
試験で満点をゲットした(つもり)
留年もなくなった(つもり)

その後部活でバイト。
35時間眠らずにバイトに突入して、
バイク運転中に普通に入眠。死にかけた



暇ーな一日

2001年2月18日
起きたら14時。
寝すぎて自己反省と全身の倦怠感でしばらくぼーっと過ごす。
多分昨日のバイトが疲れすぎたのね。
そのあとテレビ見て、友達と飯食ってそんな感じの一日。
アキヨちゃんに1回電話したがつながらす。
嫌われてるのかな、嫌なら電話に出て断って欲しい。これってオレの自分勝手かなぁ。

バイト地獄

2001年2月17日
朝10時50分から夜の11時半までバイトだった。
オレバイクの売上は9万円、総走行距離はざっと100キロ。
自分で言うのもなんだけどよくやったよ。
ピザバイクの上って信号待ちの時間とか結構暇なんだ。
だからメールとかしてると時間潰しになるよ。
付き合ってくれてるゆかちゃん、どうもありがとう。
今日は社長が途中からいなくなったのでバイト仲間にピザを二枚も焼いてもらった。
飯代が浮いて、本日は自分の財布から全くお金の出ない日だったな。
うちのピザ屋ってホテルとか風俗とかによく配達に行くんだ。
たまに「今売ったピザの売上でここの風俗入れるじゃん、うーんどうしよう。」とかとんでもない事を考えてしまう時もある。行くわけないけど。
でもそれほど宅配ピザは高いって事だな。

今日の動物実験の授業は休講。
前回の授業で
「試験に出す所は16日の授業で言います。」とか言っておられたのに
「試験の事であれこれ聞かれるのがやだから」という理由で休講にしてしまわれました。
ああ、そんな教授は私の恩師・・・
殿! 民が離れて行きまする。

だから今日は動物実験の試験べんきょ、と部活、とバイト。
今日のピザ屋は忙しすぎて社長が切れまくりだった。
忙しそうだから社長の代わりに注文の電話にでたら

「何で電話に出てんだ」って言われて
「社長忙しそうだから」って答えたら
「言い訳するんじゃね」だって。
じゃあ何でって聞くんじゃないよ、まったく失礼しちゃう。


お医者さんごっこ

2001年2月15日
今日は、授業の一環でみんなの前でお医者さんごっこをやる日。
お医者さん側が3人、患者さん側が3人。
お医者さん側が患者に新薬治験の協力を求めるディベート形式の実習だった。
つまり新しい薬の効果を試す為に患者に協力を頼むのが医者役の自分達の仕事なんだ。
前もって午前中に打ち合わせをしようという話だったんだけど結局寝坊して一時間で至急原稿を作る羽目になっちゃった。
大きめの机とイスがセットされて出演者6人が着席、お医者さんごっこが始まった。
先生に医者役3人の役割を説明する様に言われて、
       オレ  「ドクターです」
    医者仲間(男)「実習生です」
もう一人の医者役(女)「看護婦です」

おーい! 
まんまとハメられた。
三人とも医者のはずが、まともな医者オレだけやんけ!!
結局患者の矢面に立って説明する役はオレがやる事になった。
患者役の奴に「うちの父を人体実験に使う気ですか」とか嫌がらせを受けつつ、聴衆の奴にも「治験の趣旨の説明が足りない」とか言われながら、汗たらたら流しながら何とか時間まで集中を切らす事なく出来た。
良かったー。ホント良かった。
実習生や看護婦とも意外なチームワークを発揮できたし。

この前電話で飯の約束をしていたアキヨちゃんからメール。
「ごめんなさい、きょうはご飯食べにいけません。」
そういう事をこんな短いメールか?めっちゃ期待してたのに。
せめて電話で断ってくれよ。
でも・・・また電話しよ。。
12時に学校に行った。
別になんかあったわけでもなく、
学校から帰ってバイトまで寝てた。
家庭教師先の生徒も今日は2時間うとうとしていた。
でも叱る気力も起こらなかった。

今日はバレンタイン。
家庭教師先で生チョコとデーベルのチョコとチョコレートケーキのフルコースを頂いて大満足だった。
これ言っちゃうと寂しいけれど俺のバレンタイン人生のピークは小学校5年生だったな、それでも5つ位。
でもそのことを生徒に話したら
「僕なんてピークは幼稚園の頃ですよ。
その頃は15個くらいもらってたのに小学校入ってから一個ももらってない・・・」
ちなみに彼は中学一年生。

面白かったのは、友達の話。
実家の母親からチョコレートを送られてきたらしい。
寝すぎたせいで冴えない一日だった。

法医学試験

2001年2月13日
朝の6時までデニーズで勉強。
6時でデニーズを追い出されて家帰って勉強してたら寝ちゃった。
範囲が終わらないまま12時に学校へ。
試験までの2時間も友達とだらだら話しながら勉強してた。
問題は過去問にあったものが多くて、結構書けた。
この人、何で死んだでしょうクイズは「首絞められて殺されました」が正解だった。
なんでこんな問題を出したんだろう。
その後家に帰って14時間寝た。なんて無駄な事を。

勉強しなくちゃ

2001年2月12日
寝たり、飯食ったり、メールしたり。
その合間に勉強したり。そんな一日だった。
そしてこの日の夜は、当然徹夜勉強へと追い込まれていった。
本日はおデート、待ち合わせを12時10分にして12時45分の映画をみようということだったのに、のに、のに。
ふっと起きたら12時10分。
ビビった。
速攻女の子に電話して20分で現場到着、映画は間に合ったけれど今日一日は彼女に尽くそうと誓うのでした。
映画は「Pay Foward」
お互いに「寝てもいいけれど、いびきは無しね」っていう約束の下見ることになった。
1人が3人にいい事をすればこの世の中は変えられるって考えた一人の少年(ハーレー ジョエル オスメント)の話。

世の中上手くいかないものだけど頑張ってみたら良い事あるかもと思える映画でなかなか楽しかった。
結末は人に言っちゃいけないらしいんで言わないけれど俺はちょっとやりすぎだと思ったよ。

その後ロフトでウィンドウショッピングした。
ここはなかなか変なものばかり売っていて話題に事欠かなかった。女の子は赤いハートの付いた犬の散歩ひもがお気に入りだった。俺に買うつもりじゃあ・・・

その後五右衛門でスパゲッティを食った。女の子は中日の山崎のファンらしくてその事を突っ込んだ。占いとかやったな。生年月日とか名前だけの占いはインチキだ。

その後女の子が原付に乗った事ないって言うから運転させてあげた。
大した距離じゃなかったけれど運動神経鈍そうな子だからすごく心配だった。無事でよかったー。
帰り際にチョコもらった。
女の子は楽しんでくれたみたいで余は満足じゃ。

特に何もなかった日

2001年2月10日
起きたのは14時近かった。
朝の9時くらいに「バイトに行って来るよ」
というメールが2名から届いているのに気付く。
うーん、無駄に寝ている自分に軽い自己嫌悪。

ともだちの家に、コンパの話をしに行きつつ、
その家で法医学の試験プリントをコピーさせてもらった。
量が多くてちょっとビビる。

5時から12時までバイト。
今日はピザを1万円分(今までで最高)も注文する奴がいてビックリした。
配達に行かされた俺は、ピザ屋バイクを邪魔にならない場所に置き、そこからその家の前まで歩いていった。
両手が一杯一杯になりながらも電話した。(家の前で電話しろって言われてた)
つながらず。
重いのなんのって飲み物だけで4キロ、ピザが5枚だもの、床には置けないし。
待つ事5分やっと出てくれた、金持ちはわがままな人が多い。

バイトから帰ってきてデートの約束をした。
明日、楽しい一日になりますように。

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