上高地(最終日)

2001年2月26日
朝起きてあずみ荘から見る朝焼けの富士山は
絶景かな絶景かな。
ホントに素晴らしかった。
富士山って本当に神秘的な山だよね。
周りに山がなくってひょっこり1つだけ堂々とそびえ立っているんだもの。
宿の人に聞くとこんなに綺麗に見える日は久しぶりだ、との事。
チェックアウトした後でみんなで凍りついた精進湖に降りていったんだ。
景色がとても綺麗なのでどうやって記念写真を撮ろうかという話になっって
組み体操で扇(山の形だから)を作ってパシャり。
写真の真ん中に肩車をした奴を持ってきて山の形にしてパシャり。
みんなが頭の上に手で山を作ってパシャり。
普通の人が見たらばか写真ばかりだけれど現像がすごく楽しみだな。

その後はコンテナ車に乗り込み上九一色村に出発した。
目的は・・・・そう、サティアン跡地。
小一時間走り回ったがそれらしい所は見つからず、みんなでサティアンをバックに空中浮揚した記念写真をとるという野望は崩れ去ってしまった。

気を取り直して本栖湖に移動、五千円札の表紙の富士山の絵のモデルになった景色を堪能、お約束どおりみんなで五千円札を持ってパシャり。

その後河口湖、山中湖と次々と富士五湖を巡っていく一行だったが、移動中コンテナの中では暇を持て余した連中がトランプを始めていた。
それが意外な盛り上がりを見せていて
「景色が綺麗じゃなかったら湖についても別にコンテナ開けなくていいから」
と言う発言も飛び出すほどに。

そんなこんなで山中湖を出発した一行は東名高速に乗り帰路についた。
高速でのコンテナ内はぶっ壊れてもおかしくないほどのものすごい音、隙間風、振動であり改めてコンテナは人が乗っては行けない所である事を実感した。
誰がやったか知らないがコンテナの隙間は一部タオルとガムテープで補強してあったが、はっきり言って意味無し。

名古屋に帰ってきた後はみんながみんな
「無事に帰って来れたねぇ」
を連発、そんなに危険な旅でありました。

打ち上げは、旅行中満足に肉を食えなかったと感じたメンバー4人で焼肉の食い放題に行った。
肉に飢えていた俺はラグビー部のマッチョ君よりたくさん食ったった。

旅行を振り返ると
まともな旅行ではなく、計画からして滅茶苦茶で、メンバーがみんな常識から外れてて、だからこそこんな旅行が出来たんだろうなっと思う。
このメンバーでまたどこかに行きたいな。

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